2010年10月4日

電子書籍の姿はウェブが示してくれている

2010年は「電子書籍元年」なんて言われている。実際のところ、元年と言っていいのかというと、ちょっと違うんじゃないというのが本音。だって、年末になってようやく電子書籍端末がリリースされるようになるという状況は、読者・消費者・ユーザーにとってはまったくもって元年でもなんでもないじゃない。それに、逆に、電子書籍なんて昔からあるじゃんというのも理由の一つ。2003年頃から松下のシグマブックスやソニーのリブリエが発売されていたし、さらに遡って1993年にはすでにNECがデジタルブックプレイヤー DB-P1なんていう電子書籍端末を出していたりもする。

ただ、出版業界で電子書籍への取り組みが本格化し始めたのが2010年というのは確か。始まったばかりの現在は、最初から電子書籍をというのもあることはあるが、紙ベースの書籍を電子化する、もしくは紙と電子を同時に出すなんていう話のほうが多いけど。そんな中、せっかく紙の書籍を電子化するなら、デジタルの特徴を生かした動きのあるものでなきゃおもしろくない、意味がない(要するにそのまま電子化されるだけじゃイヤ)と主張する権利者もいるようだ。

じゃあ、デジタルの特徴を生かした電子書籍って何? 電子化するって動きをつけたりすることなの? 電子書籍に取り組む際に誰もがぶち当たる疑問。そんなときは、デジタルの特性じゃなくて、書籍というメディアの特性を考えたほうがいいんじゃないかと思う。

書籍にもいろいろな種類がある。小説、実用書、学習参考書、写真集、絵本、地図などなど。文字だけということもあれば、ほぼ写真だけということもあるだろうが、文字と図版によって構成されて(書籍としてイメージされるものは文字が主体の場合が多いかな)、紙に印刷されてパッケージングされたものというのは共通していると思う。さて、文字と図版を電子化して紙から解放したら、紙ではできなかったさまざまな表現が実現するのではないかということで、電子書籍元年になって電子書籍に目覚めた人たちが期待に胸ふくらませたり、恐れおののいたりしているわけなのだ。

でも、文字や図版の電子化って電子書籍で初めて実現することなのかというと、もちろんそんなことはない。パッケージングという点を抜きにして考えれば、ほら、あるじゃないですか、ウェブが。これから起こるメディアの変化も過去の蓄積の上に成り立っているわけで、電子書籍の姿を考える前に、ウェブコンテンツにどういう要素があり、それぞれがどれくらいの割合を占め、なぜそうなっているのかを考えてみればいいんじゃないだろうか。

技術的に言えば、ウェブでは写真も動画も見られるし、インタラクティブな遊びの要素も加えられるなど、かなりのことができる。でも、普通のサイトでは圧倒的に文字コンテンツが多いし、その際にはあくまでも文字を読ませることが主眼で、図版や動画は添え物だ。そして、紙で表現不可能な動画はともかく、電子化されているからこその工夫が図版に施されているかというと、それは案外少ない。文字を読むことを中心に考えると、メディアは変わっても、それほど大きな違いはないように思えてくる。

ウェブは無料が基本だから、記事を見せる“しかけ”にはあまりコストをかけられないだけじゃないかと考えることもできる。でも、それを言うなら、一部のヒット作を除けば、1つの書籍が稼げるお金だってしれている。大半の書籍は制作にあまり大きなコストをかけるわけにもいかないというのが現実だ。

また、読み手視点で考えた場合に、実際のところ、文字情報の助けとしてのわかりやすい図版があればいいのであって、情報処理という点ではそれがシンプルであるにこしたことはない。もちろん世界観を表現するという意味で、さまざまな“しかけ”が有効な場合もあるだろう。でも、だいたい、みんな、音が出るサイトや動きのあるFLASHとかそんなに好きだったっけ。音はオフにするし、FLASHはスキップする。そんな人が多いんじゃないかなあ。もちろん、ヴィジュアル中心のコンテンツではこの限りではないけど。

ちなみに、パッケージングという点で、ウェブよりも電子書籍に近いのが、パワーポイントだったりする。これこそ超簡易版電子書籍だと思う(電子書籍の定義を無視すればだけど)。一般人のスキルの限界と主にビジネス用途のせいもあるが、文字が主役で、シンプルな図表や写真、動画が添えられる形はやっぱり変わらない。

結局、ウェブなどを見ているかぎり、電子書籍になって大きく変わるのはコンテンツではないのだと思う。変わるのは、ここのところ各所で取り沙汰されているように、読書体験。それは例えば、複数の本を横断的に探して即座に情報へアクセスできる全文検索だったり、一度買った本がどの端末でも読めるマルチプラットフォーム化であったり、線を引いた箇所の共有のようなソーシャルリーディングであったり。「読む」という行為をより便利に、豊かにするのが電子書籍なのだろう。

とは言え、エンタテインメント性が重視されたコンテンツや、制作費に余裕があるものでは、もっと違った進化もあるんだろうけど。

2010年9月19日

ソーシャルフィルタリングのフィルターの話

Erik Qualmanの"Socialnomics"(邦題:つぶやき進化論)に、これからの情報入手行動に関して、とても印象的な一節がある。
We no longer search for the news; rather the news finds us.

この文言は"Socialnomics"から作られた下の動画"Socila Media Revolution"でも登場したので、見たことがある人も多いかもしれない。



では、何がそれを可能にするのかといえば、ソーシャルメディアだ。わざわざ検索したり、ニュースサイトを訪れたりしなくても、自分に役立つ情報は、ソーシャルメディア上で誰かが紹介してくれるという。いわゆる「ソーシャルフィルタリング」だ。

最近はあちこちでソーシャルフィルタリングの有用性、可能性などが語られている。重要だよね~とか安易に思いつつ、ちょっと立ち止まって考えてみると、それってどんなフィルターなのかって話。ソーシャルフィルタリングでフィルターの役割を果たすのは人だ。自分とフィルターは、友達なり、マイミクなり、フォローといった関係でつながっている。

Twitterがおもしろいのは、相手がツイートを非公開にしていたり、ブロックされたりしないかぎり、誰でもフォローできることだ。自分にとって有用なフィルターになると思う人を自由にフォローして、情報を得ることができる。だから、有名人は膨大なフォロワーを抱えている。

じゃあ、mixiやFacebookはどうか。Twitterと違って、ソーシャルグラフを形成するうえで、承認というプロセスがある。マイミクや友達になるのは、まずは実際の友人・知人、それからコミュニティやグループで意気投合した人というのもあるかもしれない。いずれにしても、プライバシー保護や、友達やマイミクの数の上限を考えれば、選別の意識が働くことになる(単に友達やマイミクの数を増やしたいだけの場合は別だけど)。

つまり、Twitterのように勝手にフォローして、相手の発信情報を確認するということができない。だから、質の高いフィルターを得るためには、フィルターとなる人に承認してもらえるようにならなくてはならない。一般論としては、質の高いフィルターとなる人は同様の人とつながっている場合が比較的多く、ごくごく普通の人はそうもいかないだろう。これはフィルター格差が生じるということなのだ。

簡単かつざっくりと整理すると、Twitterからはエキスパートと友人・知人の目でフィルタリングされた情報が、Facebookやmixiでは友人・知人の目でフィルタリングされた情報が入ってくる。友人による推奨は、広告よりも信頼できるというのは確かな傾向だろうけど、情報の選別、ニュースソースという点では、エキスパートの存在が大きいのは間違いない。友人・知人は重要なフィルターになるが、それだけでニュースが自分たちを見つけてくれるというほどにはならないはずだ。

ここで思い出すのが、先日のTwitterのカンファレンス。バイスプレジデントのKevin Thauはこんなことを言っていた。
Twitter is for news. Twitter is for content. Twitter is for information.

Twitterはソーシャルネットワークではなく、ニュースの形をこれまでとは変えるリアルタイムインフォメーションネットワークだというのが彼らの主張なのだ。これは承認なしにフォローできるという関係性だからこそ実現するものだろう。このカンファレンスでの発言は、Facebookを意識して自分たちの立ち位置を明確にしている側面もあるだろう。でも、ソーシャルフィルタリングという点では、Twitterの本質が確かにここにあるのだと思う。

日本は世界的に見てもTwitterの普及が進んでいる国だ。それだけに、ソーシャルフィルタリングについて語る場合に、Twitterを念頭に置いていることが多いんじゃないかと思う。でも、ソーシャルグラフの形成のされ方が異なる以上、TwitterとFacebookやmixiではフィルタリング機能に本質的な違いがあることを意識しておかないといけないなあと今さながら思ったのでした。

2010年5月5日

長尾眞『電子図書館』と失われた15年

自分は図書館・情報学科出身なんだけど、この学科には図書館コース、情報メディアコース、情報検索コースと3つのコースがあって、自分が所属していたのは情報メディアコース。だから、基礎科目としての図書館学は学んでいるとはいっても、かじっているという表現が近い程度の学び方で、意識としては「図書館」・「情報」学の「情報」寄りだった。当然ながら司書資格も持っていない。

そんな学生だったから、もちろん図書館に興味はありつつも、図書館についての勉強を積極的にしたわけでもないので、1994年に出されていた長尾真さん(出版当時は京都大学教授、現在国立国会図書館長)の『電子図書館』なんて存在すら知らなかった。それが今年になって新装されて発売されたのを知り(中身はほとんど当時のまま)、発売から16年という時を経たその本を読んでみた。

話の中心は電子図書館だけど、当然そこには書籍の電子化も絡んでくる。正直言って、今問題になっていることが凝縮されていることにびっくり。長尾さんが予測したことがかなりの精度で現実のものになっている。人が必要とする情報の単位とその利用法、情報の入れ物の概念の変化、ハイパーテキストの活用などは、その後インターネットの普及とともに、かなり認知されていった。さらに、フリーの話であったり、出版社の中抜きの話であったり、今になってみんなが慌てている話がすでに俎上に載せられている。

94年ですよ。Windows95もまだ発売されていない段階で、今読んでも十分すぎるくらい参考になるレベルの話がすでに提示されていたのだ。確かに電子書籍が利用されるようになったのはアメリカでアマゾンのKindleが売れるようになった2009年になってからだし、人も企業も問題に直面しないとなかなか動かないっていうのもわかる。

じゃあ、去年まで考えるきっかけがなかったかと言えば、失敗に終わったけど、ソニーが日本でリブリエを発売したのは2004年のことだ。KindleだiPadだ、黒船だとか騒ぐ前に、国内から問題提起はされていた。でも、そのときは業界(と言うか、取次だけど)の反発で、買い切りではなく貸本形式になってしまったことも災いして(原因は他にもあるけど)、リブリエはあえなく市場から退場。

出版業界は目先の利益の追求を容認して、問題を先送りしてしまったわけだ。電子書籍の時代の到来がそう遠くないことはわかりきっていたのに。電子書籍の販売プラットフォームにしたって、アマゾンやアップルに取られてもう手遅れとか言ってるけど、リブリエのときにちゃんと考えてやってればこんなことにならなかったかもしれないのになあ。

この本が出版されてから15年、本格的な電子書籍の議論がほとんど前に進まなかったのはあまりにも大きな損失としか言いようがない。なあんて、図書館・情報学科出身で出版社で働いていながら、今頃になってこの本を読んだ自分にもあまり言う資格はないわけだけど。

2010年3月29日

ソフトバンクのOPEN DAYがすごかった

近頃はTwitterとUstreamの勢いがすごい。先日、NHKで放送されたNHKスペシャル「放送記念日特集 激震マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」であれだけ大々的にTwitterを使ってたのもNHK的には初なんだろうけど、本当にすごかったのはその裏で起こっていたこと。Ustで「激笑裏マスメディア~テレビ・新聞の過去~」と題して、小飼弾の家から、ホリエモンや上杉隆、津田大介、切込隊長がNHKの番組を語るのを流していた。Ust なので、当然twitterも絡んでくる。

当日は、表と裏の映像を同時に見るだけでも忙しいっていうのに、Twitterで両者のハッシュタグのストリームを追いかけるとなると、もうてんやわんやってやつなのだ。でも、この「裏」が日本のUstとしては驚異的な9000くらいの視聴者を集めていたからまたすごい。NHKの放送中は裏のみんなはぐだぐだな感じだったが、放送後、津田さんがしきり始めてからは、正直言って、表の番組よりよほど有益な議論をしていた。酔っぱらい多数(特に小飼弾)で不毛な時間も長かったけど。

まあ、表のほうのマスメディア側の顔ぶれを見たら、おもしろい話にならないのは決定だったわけなので、裏のほうがメンツ的には断然おもしろいわけだ。しかも、表に出演していたドワンゴの川上さんが、なんと番組終了後に裏に合流。ついでに、川上さんと一緒にニコ動スタッフもついてきて、Ustとニコ動のダブル中継なんてことに。しかも、ニコ動は途中から公式生放送化という荒技も。

どう考えても裏で起こっていることのほうがすごかったわけで、NHKの番組そのものよりも、番組に付随して発生したこうした動きにこそ、これからのメディアについてのヒントが多かったと思う。

そして、今日、ソフトバンクがOPEN DAYというイベントをUst中継つきで開催したのがまたすごかった。孫さんのプレゼンは、スティーブ・ジョブズばりと評されるくらい、お上手。今年中の基地局倍増宣言とか、個人や企業への基地局の無償貸し出しなど、あっと驚くようなサービスの発表の目白押し。

そして、ドコモのスマートフォンXperiaに対抗するように、かねてから発表されていたAndroid端末(HTC Desire X06HT)も公式に発表された。TwitterでXperiaのハッシュタグを見てると、Xperiaを予約していた人が涙目みたいになってる。 Xperiaの発売を目前にして、Xperiaよりもスペックは確実に上のAndroid端末を投入するんだから、ドコモにダメージを与えるにはこれ以上ないタイミングでしょ。

そんな出来事の一部始終をUstとTwitterで目撃した日だった。ちなみに、Ustは視聴者が8000人くらいになるとかなり不安定になるって言われてたけど、今日はそんなにひどいことにはならなかった。リアルタイムウェブの登場で、ライブの価値がどんどん高まっていってる。テレビも生放送を増やす方向に逆戻りするかもね。でも、そうなると逆に大切なのは、リアルタイムで体験できなかった人を楽しませるためのアイデアだったりするんだろうなあ。

2010年2月14日

マクルーハン再び

なんだか最近、立て続けに洋書を読んでいる。必要に迫られてというほどでもないんだけど、欲しい知識を得ようとすると、どうしても日本語の本だけだと足りないこともしばしば。

さすがに日本語の本を読むのに比べると時間がかかるが、わからない単語があっても気にしないっていうスタンスで読めば、それなりにさくさく読めるんだなあと、今さらながら再認識。

でも、やっぱりアマゾンのKindle買ったほうがいいかな。知らない単語があったときに調べるのが簡単なのはいい。電子書籍に関わる仕事もやっているので、実際問題、英語の本しか読めないからKindleはまだいいやなんて言ってられないのだ。

というのは、本題とは関係なくて、言いたかったのは、自分は大学の専攻はメディア論で、仕事もメディアで働いているわけだけど、勉強と仕事がつながってきたなあと最近感じているってこと。もちろん、大学時代に学んだことは、これまでも仕事に生きていたんだけど、今感じているのは、マクルーハンの偉大さ。

ソーシャルメディアの時代になっても、やっぱりマクルーハンなのだ。マクルーハンの主張の重要さを、大学時代にはそんなに理解できていなかった。はい、すみませんでした。改心しまして、マクルーハンとその系譜の人の本を読み直します。